本に背中を押されて

本に背中を押されてるな、って思ったけど、結局わたしのカラダが押してるんですよね。へへへ。

 

「病気が教えてくれる、病気の治し方」

のなかで、病気の役割、みたいなことが書いてある。

健康、と呼んでいる状態は、中庸?まんなか。

イスの上にちゃんと立てている状態。

で、例えば右にものすごく傾いてしまった、として「おっとっと」とイスから落ちないように、左へ引っ張ってくれるのが、病気、だと。

病気が私たちを、中庸の、まんなかのいい感じで立てるように、バランスを取ろうとしてくれてると。

五反田整体院で働いてるとよくわかる。カラダは痛みを使って、必死で何か伝えようとしてる。ちゃんと休んで欲しい、とか自分の気持ち認めてほしい、とかその場から逃げろ、とか。

だから、やっぱりおんなじなんだな、とおもった。

私たちはすごく、カラダに愛されてる。想われてる。時に健気に。時に狂気的に。

 

本の中で、私たちは自分の中にある認めたくないものを影にする。その影が気づいて欲しくてカラダに表現していく、病気とか痛みとかいろいろ使って。  みたいなことが書いてある。

ざっくりとはわかるんだけど、まだモヤっとしてる部分。影のところが。

で、そんな時に1年ぶりぐらいに手元に戻ってきた本、「ココアどこわたしはゴマだれ」のなかで、スイセイが【押入れ】の話をしてて、あ、これだ、と思ったんです。まさに、この【押入れ】が【影】にあたるものなんじゃないか?と。

影って表現だといまいちお腹まで落ちてこないんだけど、押入れだともうすぐ!ってとこまで落ちてきそうな感じなんです。

人にはいろんな性質があって。はやい、とかおそい、とか。だいたい両方とも持ってるんだけど、この世で生きていくのには、はやい、方が重宝されて。だからおそいはいらなくて、押入れの中にしまわれちゃう。自分のそういうところがしまわれてるのが、スイセイのいう【押入れ】

で、スイセイは「俺はどちらかというと押入れの方を大切にしたい。」と言っていて。

自分の中の押入れを開く、とか出してみる、とかの選択肢しかなくて。大切にする、はなかったと初めて気がついた。どんな風になるんだろう、いい感じがする。やってみたい、と思いました。

わたしの押入れの子を大切に生きるって、どうやるんだろう?

あたらしい景色のヒントっぽいです。

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