支配するわたし

さて、この2週間ぐらいの間でわかったこと。昨日の鏡で思い当たること。

それは、わたしが「コントロールすること」に結構執着していたということ。

 

写真家の彼と打ち合わせで、

わたしには無意識に何かをフタをする、表に出さないようにする、しかも瞬時に、そんなクセがある。うすうす気が付いていたと思う。でも困ってなかった。だから気にしてなかった。でも今は、新しい景色を見てみたい。見せてあげたい。と思う。

もちろんそれで今まで身を守ってきた訳で、嫌いじゃない。でも、ちょっと飽きた。原始反射みたいに、発達みたいに、カラダが求めてるものがが変わったんだ。

 

で、モヤモヤを受け入れる時間を持ってみたことで、自分では気が付いていなかったけど、すごく一生懸命コントロールしていることを発見した。なにを?

 

自分のいる環境、状況の安定の維持、問題があればとにかく状況を把握。自分の心持ち、ある一定のテンションを維持しようとしている。仕事のために身につけた気がする。そういう身の守り方を考え出したんだと思う。

楽しく仕事ができるように。仕事を嫌いにならないように。だと思う。

 

ここへきて、すごく寝つきが悪い、ことにつながってきた。

寝つきの悪さ、は「自我がコントロールを手放せない。」メタファーがある。

睡眠、大腸、エクスタシーは「死」を意味する。

「死」=「コントロールの喪失」

自分でコントロールしたがりだと、難しい、らしい。

身を任せる。自分が把握できてなくても、身を任せる。

身を委ねる。

 

「コントロール、支配」を手放す。

 

ぼんやりとそうかもな、となったところへ、昨日の鏡が割れる事件。

 

わたしの姿を映す鏡が壊れた。

あー、壊せってことか。自分を。壊れたって大丈夫、と言われてる気もする。「コントロール、支配」を手放すための具体的なアドバイスだな。

ここ何年かは、自分を信用、信頼するための冒険だった。そう考えたら、「壊れたって大丈夫。」はわたしの長い長い旅路そのものだ。こんなに遠くまで来れるなんて。そんなこと思える日がくるなんて。

弱くて、自分を守るのに必死でコントロールするしかなかったわたしが、自分も他者も信用できなかったわたしが、

壊れたって大丈夫、やってみようか。

と思えてることなんか、想像できなかったな。

 

何度も文章に書いてたら、あんなに怖いと思っていたのに、大丈夫な気がしてきた。

 

壊れたって大丈夫。

壊したって、大丈夫。

もう壊れてるかも、だし。

なんだかんだ、再生するし。

 

 

余談ですが、院長は今カーリーに夢中。

インドの戦いと破壊、殺戮の女神。超こわい。でも、気になる。みたい。

院長の中でも男性性と女性性が、ニョキニョキと成長している模様。

 

院長も、こわいと思う領域に挑戦しようとしてて、なんか一緒だな、と思って。

ニョキニョキ!

 

 

 

 

 

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