ばあちゃん、高田と志子、の生き方

久しぶりにばあちゃんのことを考えた。

彼女の生き様みたいなもの。

ここ数日ものすごく首が痛い。何やっても変わらない。

何か大事なことに気がついてない時だな。

ふと、ばあちゃんを思い出す。

今回    首が痛くて、腰も曲がってしまうから。

以前はるちゃんがブログで腰が曲がる自分を見て、自分のおばあちゃんみたいで、なんだか嬉しかった、と書いてた。いいな、って思った。のを思い出した。

子宮委員長はる 

 

 

わたしは、「あんな風にはなりたくない。」と思ってる。というか、ああなるのが、怖いと思ってる。

うちのばあちゃんは、自分の顔が膝に来るぐらいまで、腰が曲がってる。

自分の腰が痛くなった時、

これは完璧内臓からきてるな、という時、

その姿勢はわたしの内臓を守ってる。

わたしのたぶん子宮だと思うけど。

その時の歩き方が、ばあちゃんそっくりで。

血、を感じる。

でも、それが自分の未来の姿だと思うと、、、嫌だな、って思う。

ばあちゃんは、ある意味すごい。

全くわからない。

自分の息子にも、嫁にも心を開かない(ひらいてるようにはみえない)。じいちゃんが生きてる時でも、そういう感じじゃなかった。

甘えない。

絶対に曲げない。

懇々と懇々と己の生活を変えない、積み重ねる。

背骨が折れても、自転車から落ちても、まわりがやめてくれ、と言っても、すごく曲がった腰で畑まで行く。

食事の時以外は、自分の部屋から出てこない。

たぶん一日中話さない。

それなのに、ボケない。

すごい精神力。

友達はいない。

この村から出てない。

行くのは畑だけ。

 

昔は、なんて寂しいんだ。

ばあちゃんはそれで幸せなのか?と思ったこともあった。

でも、今は、なんの変化もない彼女の生き方、生活の送り方は、誰にも侵せない、とても真摯に生きている、そんな寂しい生き方なのに、彼女を見てると、胸を打つ。

「ななちゃん、ばあちゃん頑張るからな。」

とお正月の実家でそう言われた。彼女の部屋で。

その時は、何をだろう?と思ったけど、今は少しわかる。

腰を曲げて歩く彼女、に似たくない。

でも、似てる気がする。

結局わたしもそう生きる気が、実はする、からか。

 

彼女のそういう姿勢をまわりは理解できない。

まわりも寂しいのかもしれない。

そんなことを思っていたら、ツラツラと涙が出てきた。

滝のように。

ずっと胸が、ドキドキして、締め付けて、首が動かなくて、呼吸も浅く、めまいがする。

それが少し楽になっていく。

 

まだ下は向けない。

真っ直ぐな姿勢のマダムなおばあちゃんに憧れる、

でも、

ばあちゃんに、リスペクトも感じてしまう、自分を発見した。

 

もう少し出てきそう、なので経過観察、だな。

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